今日はブラジルに来て初めての休日となりました。 午後から簡単な買い物、観光で出る予定です!
保存会員の皆さんに 悲しいお知らせがあります! 皆さんと一緒に合宿に参加したベネズエラ随一の天才ドラマーだった、エリアサル・ジュネスさんが、22日に脳の動脈瘤により急死しました。 私は、24日に事務所からのメールで知りました。 彼とは、20年前からの友人で、お互いに遠く離れて生活はしていても、理解しあえる兄弟みたいな関係でした。 彼の死により、中南米における20年の想いが… 何かが消えて無くなってしまいました。 残念でならない…
彼とは不思議な縁で結ばれていました。 天邪気を興して、初めて国に認められて、国際交流基金から中南米、5ヶ国に派遣された時にベネズエラで、彼と出逢いました! ベネズエラでワークショップを開催したのです。 本来ならベネズエラの子供たちが来て太鼓を習うはずが… 来たのは、前日に我々の公演、コンサート観て、興奮したパーカショニスト達でした。 その中の1人がエリアサルだった。
二時間の予定で計画していましたが… 始めは大人しく皆さんは、太鼓の基本を興味深々で受講してはいましたが… 基本ではなく、曲の説明と実技に入り、盆太鼓を教えだしたら、俄に興奮しだして、各々が太鼓で、盆太鼓のリズムに乗り、狂った様に音を出し始めた! しまった! 彼等は民族音楽の専門家だった… と思っても後の祭りで… それから5時間、太鼓を打ち鳴らし炎々とステージは盛り上がって、私も無我夢中で中に入り色々なリズムを共有し合ったのです!
そのライブ、ジャムセッションが終わり、お互い汗だくになって、感想を述べていた時に、エリアサルが私に近づいてきて… ワタシは、エリージュネスデス! その後の会話は、通訳の方にお願いしました。 彼が私に言ったのは… まず、貴方に太鼓を本格的に習いたい! そこで、提案があります! 3ヶ月後に、石橋さんと、ジュン・石橋知ってる? 彼と日本に行く計画がある! その時に会って、ちきんと話がしたい!
私は、石橋さんも、日本に彼が行きたい! 事も、全く知るよしもないのに、熱く語るので、記憶に残ってしまったのだろう。 彼は、私に、渡辺さん! 貴方は南米に来て何を感じた? うーん 南米に来るのは二回目なんだけど、上手く云えないけど、故郷に帰って来し感じがするんだ! この感覚は、特別で、デジャブーの様な、以前、ずっと昔に住んでいたような、懐かしい感覚があるんだ! エリアサルは、驚いた顔をして… 同じだ! 私もそうです! 日本に行った事が無いのに、神社! 特に鳥居と境内の夢をみるんだ! まるで日本に住んでいたみたいに!
ウワー と我々は抱き合い、その感覚が嘘でない事を確認出来たのだ。 そして、言葉通り彼は石橋さんと(現在は東京大学の言語学教授)日本にやって来た!
彼らが私に話したのは、エリアサルは、ドラムは天才的ですが、何故か日本にこだわり、どうしても和太鼓を修得し、ベネズエラで太鼓をやりたい! と言っていまして、これから外務省と国際交流基金に書類を提出して、半年間のプログラムで、芸術家として和太鼓を修得したいと申請を出すつもりです! そこで、渡辺先生にご意見を賜りたいと! もし、彼が日本に来れる様になったら、受け入れて貰えますか? また、先生の所でなければ何処のチームが良いですか? と相談されたのです。 うーん そうですねぇ 私の所でも良いですが… 私のアパートは狭すぎるし、天邪気だけを視ないで、40日ぐらい日本に滞在するならば、私が色んなチームを紹介しますから、全て体験して、その上で決めたら良いのでは? そうですか? では、メモを取ります!
そうして半年間後に、エリアサルの来日が決定して本当にやって来ました! クリスティンという奥様同伴で! アパートは石橋さんのお父さんが経営しているアパートに入り、彼の太鼓修得期間が始まりました。 当時は、練習を富士見台地区区民館で、週に四回、6時から10時で行っていました。 うーん と彼の芸術家としての給料は知りませんでしたが、確か、太鼓修得金として、経費を含めて、50000円が支払われていたと記憶しています。 彼は、勿論、それを、はい!先生と渡してくれるのですが、私は、保存会員と同額だけを抜いて、+10000円はトレーニングジム代と、残りは交通費と経費に遣いなさい! ああ、先生! ダイジョウブ! まぁ 良いから 良いから~ ああ、先生 Thank you アリガトウ、グラシアス!
うーん 私は知っていたのです! 元々、国際交流基金で来れるのは、本人だけで、仮に同伴者を伴えば飛行機はビジネスからエコノミーになり、生活費は1人分した出ない事を。 確かではないが、たぶん、支給額は20万円ぐらいで、石橋さんのアパート代金は10万円を少し超えていたと記憶している。 もう、15年ぐらい前の事ですから… アパート代金の残りで2人分の生活費をまかない、それと、奥さんのクリスティンを、何も知らない日本で独りにさせるのは可哀想で、トレーニングジムに入りなさい! 2人とも私が教えるから! それから、高島平からジムに行く方法と、私の自宅に来る方法はちきん教えて、遅刻しないようにと念を押しました。 今にして思えば楽しい思い出の1つです。
トレーニングジムに通い、太鼓の練習を始めたましたが… 身体はでかいが、根性は空っきしダメで… 太鼓の基本を打ち出したら、3分と経たずに、アアー 先生 イターイ~ ココ、イターイ~ と言い出す始末 (笑) トレーニングでも、大して重くもないのに、顔は100キログラムのバーベルを持っているような形相と、アウ~ オオー という悲鳴近い叫び声… それでも一ヶ月ぐらいすると慣れてきて、トレーニングに行けば、まだ、体に大きな変化は表れていなのに、私の所に来ては、私の腕を掴み、注意を促したら、力ごぶを作り! 先生! 最近の俺はどうだ! いいかんじだろ? ふくらばきを見て見て! 盛り上がっているのが判るか! 俺ってイケてるよ! どう? と満面に笑みを浮かべた得意気な顔が今も忘れられない…
太鼓の稽古では、田中さんが居てくれたので、唯一の救いだったと思います。 他のメンバーはともかく、田中さんは覚えが悪く、エリアサルは、ほら見ろ(笑) タナタナカタナカ♪ と格好の隠れ蓑だった。 田中さんもよくエリアサルの気持ちを知り、それに応えていたと思います。
エリアサルの能力は素晴らしい物があり、うーん、例を挙げると、皆が現在やっている開運の締めとカホーンのパートは、彼なら一度聴いてから、次には一回でマスターする! 獅子の手組は、一回でやってしまい、我々を驚嘆させた。 開運の締めパートの始まりは、エリアサルのアイディアなのです! テケテケドン スッ タタンタドン! それと、唄の、アーイエ~ アーイエヤーは、南米の労働者は、辛い時、力仕事をして、荷物を運ぶ時に、あの曲に似た唄を唄いながら、一日を頑張ると、先生! いい唄だろ? とコラソン=魂の唄なんだ!! 情感を込めて唄うと心が1つになるんだ! 彼は私にそう言っていました!
確かにそうだなぁ~ そう思って、彼を誘いカラオケに行って一緒に唄ってみました! うーん 何だかとても良い心地になり、いつかこの曲想に合った太鼓曲を作るからと、エリアサルと約束をした事も思い出されて… 泣きたくなる
彼のエピソードは、まだまだ沢山残っています。 基本的打ち込みが大体終わった頃、 彼は大太鼓のコンテストにいつの日か出場して、タイトルを取りたい、先生!! エリアサルは、ベネズエラに帰国したら、絶対太鼓チームを作り、指導者になりたいと! 本当にそう思っていました。 うーん それには、彼を体験させる、本物の5尺、くり貫きの長胴太鼓を打たせてあげる必要がありました。
偶々、福井の織田町、オタイコ響けフェスティバルが8月にあり、天邪気は、シンセサイザー、三味線、ラテンパーカッション、ドラム、和太鼓のセッションバンド、近未来東京サウンド!というグループとして参加予定になっていました。
しかし、エリアサルを連れて行くには、幾つかの難関を越えなければならなかった! エリアサルを連れて行く事は、即ち奥様のクリスティンも同伴して来る… 勿論、車で福井県まで行くのだから、乗せるのは良かったが、宿泊費、食事代、合宿に関わる全費用を考えると… 我々も仕事の他にエリアサルの為に合宿を組まなければならなくなる! 一泊二日分は主催者が出してくれても、合宿3日間分は、自分たちで持たなくてはならない! つまり、仕事に行ったが、エリアサル1人の大太鼓を指導する為に、プロの私とひろみ、真由美が付き合う形で、頭の痛いことだった(笑)
それと、近未来東京サウンド!のメンバーとして、ドラムを担当させたいが、既に後藤さんというドラマーは決まっていたから、それにも配慮しなくてはならず、それなりに大変だった! なので、演奏はツインドラムになり、その為のリハーサルもしなくてはならなかった。 今にして思えば、それが貴重な体験になってる。
話を戻して… オタイコ響けのステージが近づいてきて、リハーサルは終わり、本番を待つだけとなっていた。 私はエリアサルと何気ない話をしていたが、以前から気になっていた事を質問してみた!
エリー、お前は何で本番前なのにスティックを持たないの? 練習しなくて大丈夫か? アア~ 先生! ノープロブレム! 必要はない! えっ どうして? ポルケ? 先生!! ムーンだ! 今日は満月だ、月のエネルギーが降り注いでいるから心配ない!! 月の光が何だって? このオオカミ男みたいな事を言い出して… フフフ… まぁ、ココが凡人と違う物だなぁ~と納得しました。
彼のドラミングは、本当に変わっていて、ドラマーなのに、乗って来ると、立ってドラムを打ち始めたりする! 身体はでかいのに、その音は円やかで、普通では、うーん 私では考えつかない所で、美味しいフレーズを出す! そして、そのフレーズは本人も二度と出来ない! 野生と感性が交互に出てきて… それは素晴らしいのです。 彼が演奏に加わると、音の厚みと、方向性を示すガイドラインが、リズムの中に、ゆとりを生ませて、安心できる! 音楽家にとって必要なセンス・テクニックだと、改めて共感させられた。
フェスティバルが終わり、大太鼓の合宿に入った! 我々は、私、ひろみ、真由美、エリアサルと奥様の5人で生活し始めた。 ホテルを借りたら高いので、その時の弟子だった佐々木隆興さんと相談をして、彼の別邸である、使っていない一軒家をそのまま借りた! 30000円を納めさせて貰い、料理はクリスティンが主に担当して…
エリアサルは初めて念願の本物の、くり貫き長胴太鼓に触る事ができた! ウワ~オ! 先生! 見た見た、タイコ、オオーダイコ♪ アハーン 彼は子供の様に飛び上がり、大太鼓に触っては、匂いを嗅いだり、抱きしめたり… 興奮して上機嫌! 写真に収めて、雑誌で紹介してもらう! そうこれが、ラテン雑誌、ラティーナに載る事になる! ラテン音楽の専門誌で、大きく何ページに渡り、ベネズエラ伝説のドラマー、エリアサル・ジャネス! 日本で大太鼓に挑戦する! といった見出しだったと記憶している。 勿論、私も取材を受け、エリアサルを交えながら、インタビュー形式でやった事を憶えています。
まず、初めての体験だから、エリアサルに、エリー、お前が感じたままで、太鼓に触れて、そして今まで教えた太鼓のテクニック、フレーズを交えて、想いのままに打ってごらん! はい♪ 先生! ワタシハ、イマ、シアワセです、Thank you 先生! と満面に笑みを浮かべて…
浮かべて… ダメだ、泣きそうだ 休憩! はぁ こうして彼との事を思い出してみると、本当に沢山あり、何度も涙を堪えなくてはならなくなる… しかし、こうして私が想い出を書き残して置くことが、エリアサルへ最高の供養になるのではないかと、考えています。
ヒストリーを戻すと、大太鼓に向かい打ち始めたエリアサル! ドン ドド~ン 彼は、得意顔で、更にヒートアッブ! どんどん彼の中にある音楽は色を変えて、飛び出し、うーん、少なくても和太鼓ではないが、アフリカンでインディオでラテンからジャズまでをこちらに伝えてきた。 それは、エリアサルの音楽だった! 音も円やかで、1つ1つに想いがあり、5分程度打っただろうか… 先生! ワタシ、キモチイイ タイコ、ビッグドラム、ベリーグット! ああ、何だ何だ♪
とにかく、独りで舞い上がっていました。 それから稽古が始まり、私は、闘神凄ノ王を彼に伝授した! 約10分間は打ち続けるので体力維持が大変だった! 彼はコピーするのは得意だからフレーズはほぼ一回で覚えた! がしかし、それを和太鼓奏者の様に、どっしりと構え! 見ただけで上手いかも?と思わせるたたずまいがない…
そう、彼はジッと構えて、音を溜めて出す事が苦手だった。 リズムが聴こえると、直ぐに身体が反応して、頭と腰が動き出す! それでは、重厚な精神の入った大太鼓の構えにはならない!! と叱りました。 エリアサルは戸惑っていました。 見かねた奥様のクリスティンが、エリー カベーサー! と一声! するとエリアサルは珍しく怒った顔で、何だよ!
後から聞いたら、 カベーサーという意味は、のろまな牛の顔を表現しているらしく、 つまり、エリアサルは、カベーサーだ! お前はのろま牛の顔だ! 即ち、バカ面だ! といい、エリーは日本語で、何だよ! 怒り反したという話です。
そんな事をしながら我々は楽しい遊びもしました。 隣は越前町で、周りは日本海! 暑い日には、海水浴に行ったりして、エリーが大太鼓の打ち込みでバテたら、田中さんから借りてきたドラムを出してきて、今度は我々がエリアサルにドラムとポリリズムを習ったりした。 そしたらエリーは上機嫌! ヒローミ、あ、ココが ダメ! マユーミ、アア~ ノーテンポ? エへへへへと見下し笑い! そんな事をして、楽しい合宿をした事もありました。
東京に帰り、エリアサルは武人の稽古に入りましたが、 これが、一番大変だったと思います。 正直、エリアサルからしたら、武人の手組など 朝飯前で、簡単に制覇出来ると、彼は思っていたのでしょう。 しかし、やり始めて、自分が何でこんな簡単なフレーズが打ち分けられない? 追い討ちをかける様に、 田中さんはそれなりに先に進んで行く! 田中さんの殺し文句が出て、エリアサルは一巻の終り! 田中さんは、エリー! エリーはドラムは私よりもグーね、でもタナカナカタナカ、武人はデキルね! アハハハ
エリアサルには、何だ、タナカナカ タナカ! と笑って切り返す元気は失せていて、自信をなくしてしまった。 その日から、三日間、稽古に来ない、トレーニングにも来ない、連絡もない!
その後、奥様のクリスティンと電話で話が出来て、エリーどうしたの? ポルケ? はい、アノアノ、エリー 武人キライ、足イターイ! 腕イターイ! 心コラソンイターイ、田中、もっとキラーイ! 要約すると、 エリアサルは、武人が苦手で、あの構えをしていると、腿の付け根と腕を挙げて伸ばしているので、肩がとても痛くなる! それに、ドラムでは自分の足元に及ばない、田中さんにからかわれた、プライドが傷ついて、心が痛いと! とそうゆう訳でして。
とにかく、明日は来る様に、と言うとエリアサルとクリスティンが同伴で私の自宅に来ました。 たぶん、自分の我が儘で、先生を怒らせたと感じていて、終始下を向いて… クリスティンが、エリー! 先生、アイムソウリ~ エリー! うーん 先生! ワタチ、ガ? マチガってイマスタ §#≒…? エリー、それを言うなら、 先生、私がま・ち・が・え・て・いました。 アハアハ、、先生ワタシガマチガエテイマシタと 早口で言い出し、私は笑いながら、デ・ナーダ どういたしまして!
エリーに満面の笑顔が戻り… エリー、セルベッサー? はーい、もちろんですねぇ テンゴ・アンブレ? お腹も空いたか? あ、ソウデスねぇ~ ワタシ、武人ダメダカラ、ランチ、食べナイ、、ナカット! シー ワタシ、テンゴ・アンブレ! そう~
この会話が皆さん判るかなぁ 彼は、先生を怒らせたので、独りで来るのが怖くて、クリスティンを連れて来て、一緒に謝れば許して貰えると… 先生、ごめんなさい! 自分は武人が苦手で、巧く太鼓が打てなかった、それなのに田中さんは自分よりも出来た! 自分の今までは何だったかと自信を無くしてしまって、家の外に出られなくなったから、練習やトレーニングに行かなかったんだ! ごめんなさい! この内容は、言葉で話したのではなく、シャイニング! 目配せと心の会話で、私がそう感じたのです。
彼も、それを何となく判っていて、だから下を向いてばかり、目を合わせては、頼むから許してくれよと! 目と動作で表す! だから、私は判ったよ! ビール飲む!と言えば、勿論ですね! お腹が空いたろ? そう、あれから落ち込んでしまい、大した物を口にしていない、 はぁ~ お腹が空いてきたよ! とこんな感じで、日本語と英語、スペイン語を3つ混ぜて合わせ考える様になり、心で彼の声を聴こうとしました。 そうしたら、ある意味で、お互いが、あの~ と口を開いたら、大体の考えは、目の使い方と所作で何か言いたく、何をしたいのか?が分かるようになっていたのです。
皆さんの何人かは見たはずです。 一昨年、彼が再度太鼓を勉強しに私の所に来て、合宿も同行し参加したのを。 彼が初めて皆の前に現れたのは、芸術劇場のリハーサル室で、石橋さんと在ベネズエラ大使館の秘書の方と挨拶に訪れましたね! あの時、田中さんも呼んでいました。 10年振りに再会した感じでした。 あの時に滞在したのは、二週間しかなく、エリアサルはわざわざ、保存会の合宿に合わせて、+ 水曜日の稽古に沢山出れる事を考えて来ていたのです。
覚えていますか? あの日、久し振り会えた我々が、石橋さんが、先生とエリアサルに何か簡単に出来る演奏を聞きたいですね! 皆も見たい聞きたい!というので、即興でやろうか? となり、エリー、昔、やった獅子舞憶えてる? それと、テケテケドン! テケテケドン! エリーは、シー もちろん とにかく、30秒くらいの打ち合わせで、ジャムセッションを行いました。 しかし、間違うことなく、ブレイク等をパスして、途中からラテン、アフリカに変わりながら、2人で演奏をしました。 それが最後のライブになるとは知らずにね…
この様に、以心伝心という感覚を持てる親友がいた、いる!人は幸せであると私は思います。 エリアサルの芸術家として来日した最後の舞台は、国際交流基金の企画した、成果発表会でした。 宮本スタジオで開催されました。
演目は、私とエリアサルの神楽! エリアサルの大太鼓のソロ! 私と田中さんとエリーの三人囃し、最後は松本源之助が笛で参加した、私、田中、エリアサルによるジャムセッションでした。 それが終り、 エリアサルの半年間プログラムも終了! 残すは打ち上げだけになりました。
我々の他に、保存会メンバーも参加しました。 磯崎、曽根、古川等々です。 打ち上げ会場は、上野にあるカレー屋さんでやりました。 盛り上がりましたが、それと同時に寂しさと切なさが押し寄せてきて、エリアサルもそれを感じてか、段々と無口になって行く、 うーん お互いに、気持ちが焦り、別れを切り出せないでいたのを覚えている。
その突破口は、やはり田中さんが、エリアサルの手を握り、泣き出したので、エリアサルも、私も、もう泣いても良いんだと。 私とエリアサルは抱擁し合いました。 1分…2分 時間は分かりません、 覚えているのは、エリアサルの背中がずっと小刻みに震えていた事です! エリアサルも私の震えを感じていただろうと…
こうして、彼の太鼓修得期間は終りベネズエラへと帰っていきました。 それからそんなに時を経ないで、我々天邪気は、再び国際交流基金の要請で、中南米公演に行くことになり、ベネズエラでエリアサルと再会を果たすのです! 田中さんもツアーに参加させました。 ドミニカ、ホンジョラス、チリ、エルサルバドル、ベネズエラの5ヶ国! 始めがチリで最後がベネズエラだと思います。 エリアサルは、常に我々と行動していて、私はプレゼントを考えていました。 公の公演でしたから、ジャムセッション等は難しく、しかし、エリアサルの顔が立つようにしたかったのです。 エリアサルは、日本に行き、プロに大太鼓をならいベネズエラでは和太鼓奏者のトップなはずなのですが、周りは妬み、嫉んで、本当に大太鼓が打てるのか? チャカされていると… 本人と大使館の荻野さんがそうゆうので、確かにエリアサルの周りに付いている日本人料理人は、エリアサルに太鼓を習っている弟子なのに、エリアサルより態度が大きく、エリアサルに何だかんだ!と指示している。
私と田中さんは、それを黙視していました。 ただ、彼が大使館の料理人ならば下手な事は云えないし、 我々の歓迎会に来ているし、一応、荻野さんに、彼は大使館の人で、ここの料理人さんですか? いやいや、エリアサルが教えている、町の居酒屋の料理人で、エリアサルに招待して欲しいと頼んでいたから、入れてあげました。
ふーん 内心、この野郎! 彼は何も知らないで、一緒に写真を撮ってくれとか! 何かお土産はないですか? エリアサルに持ってきたお土産を勝手に開けるなど、えーと、私は貴方をしらないし、これからエリアサルをコンサートで大太鼓を打たせるので、打ち合わせをしますので、出て下さい! 俺も出たい、エリアサルとチームを組んでいるんです! エリアサルを出すのであり、チームを出すのではない! 外に出て下さい! と一喝! いるんだよなぁ~ こうゆうずうずうしい奴が! 私としたら珍しく意図的に退けたと思います。
エリアサルを入れ、リハーサルをして、本番に臨みました。 内容は盛り上がり、大歓声の中、幕を綴じましたが、本当に良かったのは、エリアサルがベネズエラで天邪気のプロに交じり日本に行って修行した成果を沢山の人の前で魅せる事ができた事です。
最後に一昨年にエリアサルが再び日本に訪れて、合宿に参加して、プロと共に山形県太鼓フェスティバルに行き、天邪気の進化系を見た! その感想を書きます。
エリアサルは合宿に参加したいと、数ヶ月前に在ベネズエラ大使館を通じて申し込んで来ました。 それが実現して、先日に高野台の私の自宅泊まり、石橋さんと田中さんと久し振りの再会を果たし、夜遅くまで宴をしました。 田中さんの初のジャズコンサートの話を私がしてあげて、そのCDを聴かせてあげました。 エリアサルは、とても喜び、大変良く出来た! と、初めて田中さんを褒めていました。 田中さんもきっと嬉しかったと思います。
朝、7時に全員高野台駅前集合! その光景は、何故か残っています。 エリアサルも保存会員も、皆んな集中して合宿に参加して、大変良い稽古が出来たと思います。 夜の宴会では、ひょうきん者のエリアサルは、大人気! 本当に楽しく厳しい合宿ができて嬉しかった。
それから2日後にエリアサルを連れて、山形県太鼓フェスティバルに参加しました。 エリアサルは、本当に天邪気を選んで良かった! そしてDVDの中に、アーイエの唄! テケテケドン! が納められているのを心から喜んでいました。
先生! ワタシ、エリアサルと先生ワタナベ! いつも一緒! ムイ、ビエン! とても良い! とこれからもガンバリます! ベネズエラで太鼓の学校を開くんだ! これが、彼の願いであり、最後に交わした彼との会話だった。
それから… 彼との最後の想い出は、帰国前に、池袋芸術劇場の保存会稽古で、エリアサルが、天邪気の半纏を五枚ぐらい譲って欲しいと、チームで着たいし、うーん 自分のステージでこれを着て演奏するんだ♪ そう言って、彼は半纏を選んで持って帰国した。 その時の姿が何とも切ない…
一期一会とよく云うけれど、儚いよなぁ~ 人間の一生なんて… 今のいま、ブラジルに居る! 出会い、指導にあたっているのは、10歳~25歳までの光輝く、活き活きとした子供たち! その一方では、夢なかばで死んで逝ったエリアサル・ジャネス…
これを読んでくれている皆さんはどう感じますか? 生と死! 万物自然の絶え間ない現象なんだなぁ~ と、生きる物全てが、この宇宙の法則に縛られているのであり、何処に産まれてくるも、何処で死んで行くのかも、誰にも分からない! だけど、私は一生を懸命に活きるしかない! 自分が望んでも、望まなくでも、死は確実に訪れる… 焦る必要もなければ、逃げる必要もない! この世の中は、常に無常であると知るだけだ。 ただ、こうして長々と文章を羅列し、綴ったのは、親友 エリアサル・ジャネスの事を彼が太鼓に対して、どの様に向き合い、私と心を通わせたかを、知って欲しかった。 すべてが自己満足しか過ぎない事も分かっているんだけどね…
彼の名前はエリアサル・ジャネス! ベネズエラの天才ドラマーで、私の親友だった。 このブログを見て、彼を知っている人は、心から冥福を祈ってくれたらありがたい。 以上! エリアサル・ジャネスの霊に黙祷。